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ワン・イヤー・イン・ナミビア -365日のブログ-

2016年1月1日、人生初となる1年間まるまるナミビア暮らしが始まった。アフリカ大陸で過ごす1年間。青年海外協力隊としての活動や、今の自分を記録に残していくための1年間限定ブログ。

【第8回】小島ナミビア史 〜人生にはやらなくちゃいけない時がある〜

如月 ナミビアの歴史

2017年2月4日、天気くもり時々雨。

 

ドイツの保護協定という名のナミビアの力での支配が広まっていった前回。優秀なナマ族リーダーであるヘンドリック・ウィトボーイも遂には保護協定を結ばざるを得ない状況となり、この事実を受けてナミビアにいた全集団が改めてドイツがナミビアへとやってきた真の意図を理解したわけです。そんな中で他のどの集団よりもドイツ支配の影響を強く受けていたのがヘレロ族の人々でした。牛(当時のナミビアのお金的存在)を疫病で失い(1897年)、土地も失った彼らはドイツの支配をイヤでも受け入れるしかない状況に追い込まれました。もちろん彼らも黙っているわけではなくドイツに対して反乱を起こしますがドイツ軍相手では結局敵わないのでした。

 

そんなヘレロ族をさらに苦しめたのが1903年にドイツから出された商人に対する法令でした。

『1年以内に貸し付けている全ての借金の徴収を行いなさい。』

南アフリカからやってきていた商人たちが個人的にヘレロ族に金を貸し付けて私腹を肥やしているという実態をなんとかしようとドイツがとったこの政策。商人は当然法令に従って借金の取り立てを行いますが、ヘレロ族に借金を返せるあてなどなかったわけです。そんなヘレロ族たちに対して商人が取る手段は当然悪化していき結果的にヘレロ族はこれ以上お金も借りれず、ドイツによって生活の全てを支配されることとなってしまいました。この状況をなんとかするべく立ち上がったナミビアの英雄がいます。彼の名はサミュエル・マハレロ、当時のヘレロ族のリーダーでした。これは自分の個人的憶測ですが、彼がこの時ドイツと戦って勝つ見込みがあったとは思えません。これまでのドイツ支配の様子からして敵う相手ではないことはわかっていたのかなと。それでも自分たち民族が窮地に追い込まれている事態に対して彼は武器を取って立ち上がったわけです。

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1904年1月12日、サミュエル・マハレロ率いるヘレロ族はドイツに対して宣戦布告をします。これがこのあと4年間に渡って繰り広げられる「War of National Resistance」と呼ばれる戦争の始まりでした。写真の彼がサミュエル・マハレロ。歴史の教科書の表紙にも載っています。

 

サミュエル・マハレロが率いたヘレロ族の戦士たちは地の利を制していました。戦場の地形を巧みに利用した戦術、戦いの中で重要なカギとなる水源地の支配に長けていた彼らに対して、近代的な武器や防具を備えるドイツ軍でもこの状況に手を打つことはできなかったのです。...当然ドイツ軍だって戦いはしたくありません。戦うということは無駄な血を流すことになります。それはヘレロ族も自分たちも。なので穏やかにことをすすめたかったわけですが、ヘレロ族絶対有利なこの状況を打破するためには手段は一つしかなかったようです。

『ジェノサイド(組織的大量虐殺)』

ドイツが本領発揮するといくら状況有利なヘレロ族たちでさえその圧倒的な武器を前には太刀打ちできませんでした。

1904年8月11日 ウォーターバーグの戦い

現在は絶景と動物たちに出会える場所として知られているこの有名な高原地帯を舞台に繰り広げられた戦いにおける敗北が大きな決定打となり、ヘレロ族はその後ドイツ軍から逃げて生き延びる方法を選択しました。

 

が、ここでドイツ側は容赦しませんでした。ドイツ側の方針は「ヘレロ族の全滅」、不安因子は取り除くというわけです。彼らの取った方法は井戸などの水源地を支配するという方法でした。「水」という生きる上で必要不可欠なものを完全支配することでヘレロ族を苦しめていきました。水を飲みにやってきたヘレロ族はドイツ監視兵によって殺され、水が飲めない中でも逃げるために移動を続けていたヘレロ族の中には脱水や疲労で命を落とす者が現れました。最後の頼みに砂漠に穴を掘って水を求めようとした人々が半ば途中で息途絶えることもあったそうです。

 

逃げ延びる途中で捕まったヘレロ族も当然います。彼らはナミビア南西部、海沿いに位置するリューデリッツと呼ばれる港街に作られた強制収容所へと連行され捕虜として働かされました。その劣悪な労働環境や過労によってここでも命を落とすヘレロ族があとを絶たなかったようです。ちなみに強制収容所があったシャークアイランドという場所は現在、旅行者用のキャンプサイトとして使われています。自分も昨年1月に行きましたが今は全く面影のない場所へと変貌を遂げています。風が強くて泊まるのは少々大変かなと。

 

そしてなんとかドイツ軍から逃げ延びて生き残ったヘレロ族は2万人と言われています。これは元々いたヘレロ族のおよそ20%。80%のヘレロ族が亡くなりました。これが「ヘレロ大虐殺」と呼ばれる出来事です。最後にヘレロ族のリーダーであったサミュエル・マハレロ。彼はドイツ軍から逃れるために水の少ない砂漠地帯のある東へと針路をとり仲間を率いて逃げていきました。そして当時のイギリス領であった現在のボツワナに逃げ延びることができたのでした。ヘレロ族の誇りのために立ち上がったサミュエル・マハレロはその後ナミビアの地を二度と踏むことなくボツワナの地で亡くなりました。その彼の遺体が1923年8月23日に彼の故郷であるオカハンジャの地に帰ってきました。そして彼の遺体を埋葬した

8月26日

この日は現在ナミビアの祝日となっています。ヘレロ族の英雄であるサミュエル・マハレロと戦争で亡くなった全ての人々を追悼するこの日は「HERO'S DAY (英雄の日)」と呼ばれています。

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