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ワン・イヤー・イン・ナミビア -365日のブログ-

2016年1月1日、人生初となる1年間まるまるナミビア暮らしが始まった。アフリカ大陸で過ごす1年間。青年海外協力隊としての活動や、今の自分を記録に残していくための1年間限定ブログ。

【第7回】小島ナミビア史 〜長いものには巻かれるしかないのか否か〜

2017年1月15日、天気くもり。

 

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産業革命を発端にヨーロッパ諸国が次々とアフリカ大陸の各地の資源に目をつけやってきたのが前回までのお話。その中でナミビアの地に興味をもったのがドイツ帝国だったわけです。ドイツは1884年8月にナミビアをドイツ保護領であると宣言をしました。これがナミビアドイツ植民地時代の始まりです。勝手に宣言されてもと思われますが、ナミビアはドイツのものであるということを世界に対して明示することによりそれが事実として認識されるのです。が、当然ですがナミビアの地に住んでいた人々があっさりと納得するわけはないだろ!!

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と思うわけですが、それがそうでもないんです。ナミビアの民族の中にはドイツとの保護協定を結ぶ集団が出てきたんです。ドイツに対抗すれば自分たちの種族が被害を受けることを考慮したとき、彼らはドイツを味方にすることを選んだのでした。この保護協定はドイツが彼らの生活や権限を守る代わりに彼らの土地へのドイツ移民の定住や土地内での交易の許可を認めさせました。別にドイツに守ってもらわなくても...と思うかもしれませんが、以前紹介したように当時のナミビアは民族同士の土地を巡っての争いが勃発していたため、ドイツが味方になってくれるという見返りは彼らにとって非常に大きかったのでした。

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ナミビア民族の中でも特に目立ったのがナマ族とヘレロ族の争いでした。1829年に起きた干ばつの影響によって牛飼いの民族であるヘレロ族は新たな牧草地を求めて移動をしなくてはならない状況に追い込まれました。その時彼らが向かった先がナマ族が定住している土地だったわけです。これにより両者の間に争いが勃発。しかしナマ族には優秀なリーダーがいたんです!彼の名はヘンドリック・ウィトボーイ、現在ナミビアのN$50、N$100、N$200紙幣の肖像画となっている人物です。彼をリーダーとするナマ族は非常に強い集団であったためにヘレロ族は太刀打ちができませんでした。そこで彼らがどうしたかというとドイツに助けを求めたのでした。

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このヘレロ族との保護協定の締結は実は全てドイツの掌の上の出来事。ドイツはヘレロ族がもっていた大群の牛と彼らが住んでいた土地(ヘレロランド)をなんとか自分たちのものにしたいとずっと策謀していました。それでもこれでヘレロ族も自分たちの民族を守ることができるので一安心!...といきたいところですが、このヘレロ族は本当に運に見放されていたのだと思います。決定的な出来事は1897年に起こった牛の伝染病の流行でした。これによってヘレロ族が所有していた牛の90%が死亡。少しでも自分たちの牛を守ろうした彼らはドイツ人からワクチンを手に入れるのでしたが、その支払いとして差し出したのは彼らの所有していた牧草地でした。土地を失い、牛も失ったことで一気に生活が苦しくなったヘレロ族。一方念願のヘレロランドを着実に手に入れていったドイツは自国から多くの移住者がこの地に定住しました。そしてこれによってドイツはナミビアの地で暮らすドイツ国民の生活を守る政府組織を作る必要性を得たのでした。

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さぁもうこうなってくるとナミビアの人々だってドイツの思い通りにことが運んでいることに気づきます。今は身内で争っている場合ではない!先にも紹介したナマ族のリーダー、ヘンドリック・ウィトボーイは12年間という長きにわたって土地を巡って争っていたヘレロ族との抗争状態を停止させ1892年、平和協定を結びました。この事態にドイツは動きました。ヘンドリック・ウィトボーイをなんとかしろ!!

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ヘンドリック・ウィトボーイ率いる集団はドイツ相手にも巧みな戦術で対抗しました。しかしドイツ軍隊の近代的な武器を前に最後には降伏。1894年、ドイツ反対派の核であったヘンドリック・ウィトボーイでしたがドイツとの保護協定を結ぶこととなりました。

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その後各地でドイツ軍とナミビア人集団との衝突が相次いで起こりました。その度に流されるナミビア人の血。ドイツによる保護という名の支配の意味をナミビアの人々は知ることになりました。ある一族は全滅し、またある一族は土地を全て失い、自分たちの主権が次第に奪われていく中でナミビアの民族たちにも変化が起きました。ドイツ支配という共通の脅威を前に彼らは民族の垣根を超えて団結する必要性に気付いたのでした。

この状況下でさらなる不幸がまたもやヘレロ族に降りかかります。「ヘレロ戦争」や「ヘレロ大虐殺」と称されるこの出来事についてはまた次回。

 

ということで今週はここ最近のブンヤの風景写真と共にお送りいたしました。歩いているだけで楽しい雨季のブンヤの植物や動物との出会い。こんなに緑が辺り一面に生い茂っているのに枯れた葉を好むヤギがこれまたカワイイなと思うわけです。そして先週は村の人たちとの久々の再会もたくさんありました。ブラゾンペ!(ハッピーニューイヤー)と挨拶をしたあとに自分が3月に帰国することを伝えるとみんなが驚くことに自分が驚くという感じで、村の人たちにもブンヤの一員として認めてもらえてるのかなーなんて思って嬉しくなりました。そして最後は大規模なリノベーションしたブンヤの酒屋さんをバックに今日も元気な牛さんです。明日からまた一週間がスタート!体調も戻ってきたので張り切っていきたいと思います!!