ワン・イヤー・イン・ナミビア -365日のブログ-

2016年1月1日、人生初となる1年間まるまるナミビア暮らしが始まった。アフリカ大陸で過ごす1年間。青年海外協力隊としての活動や、今の自分を記録に残していくための1年間限定ブログ。

【第2回】小島ナミビア史 〜やっぱり小室ファミリーが好き〜

2016年11月23日、天気雨のちくもり。

 

それでは今日から本格的にナミビアの歴史紹介を始めていきます。自分がこれまで教科書を読んで理解してきたナミビアの歴史についてをできるだけわかりやすく伝えられるように頑張ります!

 

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今日はナミビアのはじまり的なところを。やはり歴史を語る上で一番の根底にあるのは「人間」だと思います。その国に人間が存在したからこそ歴史は動き出すわけで、歴史を作っていくのは常に人です。このナミビアという国(最初はナミビアという国名も無いただのアフリカ大陸の南の方の土地でしたが便宜上「ナミビア」と表現します)を動かし始めた人々について紹介していきます。人々という大きいくくりを「民族」と表現したいと思います。今日は様々な民族がいきなり登場しますが、これがまさに今のナミビアにもつながる特徴を作り出していきます。ナミビアは移住多民族の国」これがキーワードです。

 

まずはナミビアに最初に住んでいた民族からはじまります。

①サン民族

今から2万5千年以上前に彼らがナミビアの地で生活をしていたことが壁画などから証明されています。根っからの狩猟採集民族である彼らは定住の地を持たずに移動を繰り返す生活をしていました。

 

そしてサン民族がナミビアで生活をし始めたあと(といっても100年以上は経過しています)にやってきたのが

②ナマ族【コイコイ民族】

元々はサン民族と同じザ・狩猟採集民族だった彼らでしたがその違いは新しい習慣を受け入れることができたこと。彼らは生活の基盤を家畜の飼育へとシフトすることで生活を安定させました。

 

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ここでややこしやー!が発生します。ナマ族というのは大きなカテゴリーではないんです。...言ってることが自分でも難しい。簡単に、できるだけ簡単に言うと【コイコイ民族】という大きなグループの中に[ナマ族]は所属しています。そしてその[ナマ族]自体も7つの集団に分かれているんです。...難しい。要は、【ハロプロ】の中の[モー娘。]の中に〈プッチモニ〉がある的な。...この辺でやめときます。まぁこの民族やら種族的な概念は日本人には馴染みが無いなぁということを非常に感じさせられるところです。(「民族」という表記を大きな区分、「族」という表記を小さな区分とします。)

 

さぁ気を取り直して、次にナミビアにやってきたと考えられているのは謎の多い民族です。

③ダマラ民族

彼らはとにかく謎が多い。どのような道をたどってナミビアにやって来たのか、かつてどんな言語を使用していたのかさえわかっていない謎に満ちた彼ら。他の技術や言語、習慣を柔軟に受け入れる面もあれば、他と交わろうとしない引きこもりな面もあるなど個性的な民族性は今日の彼らにも見られる特徴かもしれません。

 

そしてナミビアの歴史の面白いところは、ダマラ民族が移り住んだと考えられる紀元後100年(日本がこんな金印もらって喜んでから少し経った頃)からその後1000年の歴史がなーんにも書かれてないんです。先に紹介した民族たちの移住に関しても史記として残っているわけではなく、人々によって語り継がれてきた話なので「...と考えられている。」なんです。隣に大国である中国が存在したことや早い段階で文字が伝来したことに日本は本当に感謝しないとなと感じました。

 

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その後1000年以上の時を経て、次にナミビアの地にやって来たとされるのはとんでもなく大きな集団でした。1500年代(日本は群雄割拠の戦国時代)にアフリカ中央部から水や農地を求めて南西に位置するナミビア方面に移動を開始してきた大集団が【バンツー民族】です。(バンツー語を話す民族というくくりで、アフリカ南部と中部に広く分布する主要民族)

 

そして彼ら【バンツー民族】はまたまた小さなグループがたくさん!EXILE TRIBEで例えます。

④オバンボ族

ナミビアにやって来て広い大地を手に入れたナミビアバンツー民族の中の中心的集団です。現在でもナミビア国民の半分ほどがこのオバンボ族の人々です。いわゆるEXILE

⑤ヘレロ族

彼らはオバンボ族の少しあとに同じ場所にやってきたのですが、その関係で少し厳しい環境で生き抜くことを余儀なくされてしまった集団です。それでも光る個性があり、あの世界一有名な裸族として有名な「ヒンバ」がこのヘレロ族の一族だったり、生き抜いた中にはナミビアの中央部ウィントフック付近まで辿り着いて生活を安定させる一族が出たりと実力派な彼ら。いやゆる三代目。ちなみにこのヘレロ族はこのあと厳しい歴史をたどることになります。

⑥カバンゴ族

他のバンツー民族の集団と共にナミビア方面に移動をする途中、大きな川(ザンベジ川)を発見した彼らはそこで他の集団にさよならをして川沿いを進んでナミビアにやってきました。この川の支流こそが自分の今住んでいるブンヤにも流れているカバンゴリバーです。その川の恵みで安定した暮らしを実現させた彼ら。ブンヤの人々のほとんどがこのカバンゴ族になります。EXILEの妹分という美味しいところをもらっているいわゆるE-girls

⑦カプリビアンズ

そして最後はちょっと他とは変わった集団。ナミビアの先っぽ、北東の端(現在のカティマムリロ)に定住したのが彼らカプリビアンズです。彼らはとにかくナミビアの中心部から遠いところで生活をしていたのでなかなかこのあとの歴史にも登場しない影に隠れた存在です。いわゆる...GENERATIONS...無理矢理でした。ちなみにこの「カプリビアンズ」という名はこのあとナミビアを植民地として支配したドイツによって付けられた名前なので現在は彼らのことをカプリビアンズと呼ぶことは少し印象を悪くするそうです。ピーポーフロムザンベジがいいとのこと。(カプリビ州という州名は2014年に「ザンベジ州」に変わりました。)

 

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とりあえず第2回はここまで!...わかったことは、歴史紹介文を書くのは時間がかかるということ。ですが自分の頭の整理にもなるのでいいなと。これに懲りずに頑張ります。そんな本日はなんとナミビアでの初体験がありました。ナミビアに来て1年4ヶ月が経ってついに!傘を使いました!!これまで傘を一度も使わなかったという事実が驚きです。今朝は傘無しでは外に出れないほどの雨を初めて経験しました。そしてなんと気の利くMr.ゲンダさんは車で迎えに来てくれちゃいました。こんなことも初めて!そしてこのチャンスを見逃さなかった子どもたちは荷台に乗車。その数なんと19名!面白いものを見させてもらいました。

 

ここ最近涼しい日が続いています。おかげで午後の歴史学習もはかどるはかどる!そしてついにグレード9の教科書を読破。...胸にグサグサと現実が突き刺さる苦しい歴史が続きました。が、グレード10の教科書の目次を見るとそこにはついに明るいワードが!!いよいよゴールが見えたぞーと思ったのも束の間。その数155ページ。やり遂げてみせます!